―1977年2月11日。
日付が変わってまだ数時間。
外は、徳島では珍しく雪が積もっていた。
赤ちゃんは生まれて間もなく「産声」をあげるものだけど、
母親から生まれてきた僕は、全く声をあげなかった。
いや・・・・・息をしていなかった。
呼吸停止、いわゆる仮死状態。
このままの状態が続けば、待っているのは・・・死。
息をさせようと、何度も何度も僕の背中を押す医師。懸命の処置が続いた。
見守るしかない母親。
そして・・・もう駄目かと思われたその時、
ダムが決壊したかのごとく泣き出す僕。
あと少し呼吸の回復が遅ければ、植物状態だった可能性もあったとか。
母子手帳にはハッキリと「蘇生」の2文字が記入されています。
昔から何度も聞かされてきた、僕の生まれた直後のエピソードです。
この出来事が僕の人生に直接影響を与えてるかっていうと疑問ですけど、
ええ年こいてダメ人間街道爆走中ですけど、
誕生日が来るたびに思い出すんですよね。
「ああ、僕は一度死んでるんだよなあ」って。仮死だけど。
きっと人というのは奇跡的な確率でこの世に生まれ、
その後も奇跡的な確率で生きていくんだろうなぁって思うんです。
自分の不幸を嘆いたり、人生の希望を失ったりした時、
今、この場所この瞬間に生きてるってことは素晴らしいことなんだ、と思ってみるのはどうでしょうか?
不条理に命を奪われた人々に祈りを捧げながら、
僕を産んでくれた母親に感謝しながら、
僕を生き返らせてくれた医者に感謝しながら、
今までの僕を支えてくれた数え切れないほどの人々に感謝しながら、
僕は26年目の人生を生きてみようと思います。
2003年02月10日の心色より